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周年行事&OB会 アーカイブ

2014年02月25日

【一本松SC】25周年OB会開催

2/22(土)一本松サッカ-クラブの25周年を記念し、OB会を開催しました。
昼間は、一本松小学校でフットサルで汗を流し、夜は、みなとみらいで、懇親会を行いました。
お忙しいところ、OBの皆さんには、多数参加頂き有難うございました。
30周年目指して、今後とも定期的にOB会を開催していきたいと思いますので、
宜しくお願い致します。

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2014年02月21日

【2/22(土)午後】25周年記念OB会

小学生のあの頃、ボールを追いかけた 「一本松サッカークラブ」も、今年で創立25周年と なりました。
久しぶりに一本松小学校の校庭で、 一緒にまたボールを蹴りませんか? 
夜には懇親パーティーも企画しています!
もちろん、どちらかのみの参加も歓迎です。
OBの皆さまお誘い合わせの上、ぜひお越しください。
ご参加をお待ちしています。

■平成26年2月22日(土)
 Ⅰ部 13時~16時:ミニサッカー(一本松小学校 校庭)
 Ⅱ部 18時~21時:懇親パーティ(みなとみらい…詳細は下記参照)

詳しくはこちら

2012年02月15日

OB会

《OB会》

日時   3月3日1時より
服装   サッカーの出来る服装、靴
場所   一本松小学校
予定   ミニゲーム
     懇親会(場所をすくねに移します)
参加費  小学校でのミニゲームは無料
     同窓会は 中学生、高校生  2000円
         それ以外     3000円


参加可能な方は、このエントリーのコメント欄へ記入をお願いいたします。
一本松小学校のみ参加、同窓会のみ参加、両方参加とお名前の記入をお願いします。
もちろん、コーチへの近況などもお知らせいただけると嬉しく思います。
皆様の参加をお待ちしております。

2010年12月10日

10周年記念 文集

スタッフ紹介

監 督 :植木英雄,中野正勝
Lコーチ:河合正富,尾野吉春,中野正勝
LLコーチ:三枝 巌 ,佐野文一,女屋康明
SLコーチ:山本幸雄,真野幸一,住本 潔,松木俊行

歴代 会長&副会長
初 代:筒井・宮西
第2期:畑中・森田
第3期:榎本・中村
第4期:三枝・宮原
第5期:山本・石原
第6期 :橋本・河合
第7期 :三枝・真野
第8期 :尾野・戸部
第9期 :角津・下田
第10期:黒沼・浅利

『一本松サッカークラブ10年を振り返って』 一本松SC監督 中野 正勝

一本松サッカークラブという名称は,正確には実はクラブ発足から2・3年を経てのことで,当初のクラブ名は「一本松小学校サッカークラブ」(俗称一本松小サッカークラブ)という名称でありました。この背景には,このクラブの母体を築いたのが,当時一本松小の先生であった黒崎先生という方で,当時は学校の特活クラブとして5・6年生(凡そ35、6人)を対象としていました。聞くところによると,先生の熱い情熱は,ついにはユニホームを作る程の盛り上がりとなり,さあ対外試合でもと大変意気上がってきた矢先,突然、黒崎先生が転校という事態となってしまった訳であります。そのような時に依頼を受けたのですが,当時,私自身は野球をまだ現役で続けておりましたので素直に返答が出来ず正直躊躇しておりました。しかし,子供達の想いと父兄の熱意に動かされ,学校を頼らず一地域クラブとして引き継ぐことになりました。

当時を振り返りますと,サッカーの指導は正直初めてであり,いきなり大勢の子供達を一人で見る状況(後に植木氏加わり2人)でしたから,それこそまとめるのが大変。鉄棒で遊ぶ子,砂いじりをする子(マジでいましたから)etc…。とても穏やかに教えるなんて状況ではありませんでした。それでも何とか秋頃からは近隣の学校(東小)や近隣のクラブチーム(FCゼブラ等)と練習試合をお願いするまでになりましたが,結果はもう散々たるもので,指導力不足もさることながらチーム全体の弱体さを痛切に感じ,植木氏と大いに悩んだ船出でもありました。これではと思い,コーチスタッフの拡充から始めようと半ば強引なくらいに父兄を引き込み,部員も低学年から募集するなど,組織の抜本的改革に着手した訳です。

スタッフも部員も整う発足後2~3年頃(冒頭チーム名変更期)には,他チームとの交流試合や市の大会への参加など精力的な活動を行い,大きな基礎作りが出来たかなと思いましたが,その力はまだまだ弱く,何とかチームのレベルアップ,強いチーム作りが出来ないものかと,一丸で手探りした,いわばチーム創成期を築く時期であったかと思います。ご存知の通り一本松のグランドは狭く,満足な練習が出来ないため遠征に頼らざるを得ない辛い運営でありましたが,そんな中で最も苦しい時期だったのが学校のグランドが使えなくなる平成5年から3年余りの時期でした。毎月の予定はおろか明日の予定さえもままならなず(一時,西前小を定期的に使用していたが使用禁止となる),「今度は何処にお願いしようか?またあそこへ頼み込もうか…」など,このグランドの無い時期は本当に辛く,父母共々言葉に表せない苦しさを味わいました。しかしながら,この間の辛は反面,子供達が一段と逞しさを増し,人の心のやさしさ・暖かさなどの感謝の心を持つという貴重な教訓をも得ました。ここ数年は,お蔭様で市の大会やその他の試合(招待試合など)でも,何とか形に残る結果(この秋,市の大会L2部ながら準優勝=創設初など)が出せたり,一本松カップを行うなどチーム力・組織力に,ようやく今までの努力の成果が表れて来たかなと思うところですが,「ナニまだ10年早い」と言われるかもしれませんが?…・。振り替えれば10年間は本当に荒波の厳しい航海でしたが,多くの方々の心の支えと掛け替えの無い教訓という追い風を得た航海でもありました。今後もこの波風は高く立ちはだかるでしょうが,今日まで培った力を結集し,力強い漕ぎ手で乗り切りたいと思います。最後に,元気な子供達との出会いと素晴らしいスタッフに恵まれたことに感謝し,また,これまで色々な面でご支援・ご協力を頂いた皆様方には,チームを代表し厚くお礼を申し上げたいと存じます。本当にありがとうございました。

 

『早いもので、10周年』 一本松SC監督 植木英雄

早いもので、10周年を迎えました。私と一本松小の出会いは、学校側から中野と2人にコーチの話があり、受けたのが始まりです。今思えば、当時は皮ボールもなく、学校のゴムボールを借り練習をしました。その時代は、子供たちはボールも蹴れない、扱えない又ルールも分からない、そこから始まった記憶があります。2人で話し合った結果、子供たちに試合をやらせ、サッカーの面白さと厳しさを学ばせ、目標を持ってもらおうと思ったのです。いざ試合となっても、対戦相手が見つからず苦労しました。やっと相手が見つかり試合をしてみれば、野球並の2ケタスコアーで完敗、しかし、子供達は悔しさどころか、遠足気分ではしゃぐばかりでした。その頃、現役でやっていた私には、屈辱とコーチの資格があるのかいつも中野と、つい飲みながら語っていました。今では素晴らしいコーチスタッフが揃い、理解あるお母さん方に恵まれ試合もきっちり結果を出し、いいチームになりました。私自身一年一年が感慨深く、いい勉強をさせてもらっています。これも今までの道のりの中で、協力して頂いた他チームスタッフの皆さんのおかげだと感謝しております。これからもよろしくお願いします。

『10周年記念誌発行にあたって』 Lコーチ 河合 正富

振り替えれば10年間は本当に荒波の厳しい航海でしたが,多くの方々の心の支えと掛け替えの無い教訓という追い風を得た航海でもありました。今後もこの波風は高く立ちはだかるで15~16年サッカーから遠退いていたが、二人の子供が一本松 SCへ入部した直後、どっぷりハマッテしまった。もう、かれこれ八年になるが、今ではサッカーが生活の一部であり、楽しみでもある。一言で、10年は長いようでもあり、短いようでもある。私にとっての八年は、あっというまのようであった。最初から5~6年(L)担当で、学生時代の経験だけで指導してきました。自分がセンターバックのポジションが長かった為、ディフェンス中心の、攻撃はたて一本の戦略をとっていました。2~3年すると、これは指導でも何でもないことに、気がつき、それからは本格的にサッカーの勉強をしました。子供達との接触も命令から指示指摘へかえていきました。指導内容も昔は3S(スピ-ド、スタミナ、スピリット)でしたが、今では3B(ボールコントロール、ボディーバランス、ブレイン)を中心にしています。特に、まわりを良く見て頭を使ったプレイをするよう、常に子供達と話し合っています。この時期6年生が頭の良いサッカーをすると、嬉しくなってしまいます。やっと理解したころは卒業で、いつも残念に思っていいます。こうして、あっという間に子供達を八年間送りだしてきました。その子達の多くが、もっと一本松のグランドへ遊びに来てくれ、手伝ってくれるようになったら、~~ううんと?~~やっぱり名誉コーチを続けたい。一本松がある限りコーチはやめないよ!。終わりに、一本松を支えて下さった、北方さん、本牧少年さん、YSCCさん、EMSCさん、帷子さん、太尾さん、磯子フレンズさん、その他の多くのチームのみなさん、本当に有難うございました。これからも引き続きよろしくお願い致します。OB会、父母会、コーチ、スタッフ一同のみなさん、御苦労さまでした。でも、おわりではありません。これからが始まりです。十五周年、二十周年といっしょに続けましょう。

 

「9年間の思い出」 LLコーチ 三枝 巌

♪ ちょいと1回のつもりで寄って……、気が付けばコーチと呼ばれていて早9年、LL担当となって8年の月日が過ぎました。8年間振返ると色々な思い出があります。全て書くと何頁にもなってしまうので今回は省略しますが、毎年子供達は目標に向かって頑張りました。最近では女子部員も増え楽しく活動しています。又、今年度は近隣の西前SCとの合同チームとして活動し沢山の思い出が出来ました。コーチになって良かった事は自分の子供以外の多くの子供達と触れ合う事が出来た事(子供達にとっては迷惑かも知れませんが?)。新たな大人達の輪が生まれた事です。思い出せば活動の中で特に苦しかった時期は校庭が使用できなかった3年間です。グランド確保のために寒い中、市民公園の抽選に行ってくれた父母の皆様、1番を引き当てて喜ぶ姿は今でも思い浮かびます。又、西前コミニュティハウスでの調整会議、戸部公園確保の為の3週間前の手続き等々、ご苦労様でした。校庭のない時期の活動は全てが遠征なので父母の当番の頻度もかなり高く皆で一本松SCを支えた時期でした。しかし、温かい手を差し伸べてくれた、北方SCを始めとした中区の皆様、今でも交流試合等でお世話になっている太尾FC、磯子SC、フレンズ、EMSC、藤塚キッカーズの皆様………には厚くお礼申し上げます。今後もコーチスタッフ一同協力し、いずれは一本松SCで活動したOBがかわいい後輩達と一緒に汗を流す事の出来る環境作りに協力したいと思います。

 

「10年を振返って」 LLコーチ 佐野 文一

今年成人式を迎えた息子が小学校五年生の時に、古河のグランドでサッカーの試合を行うのを父兄の立場で見に行った時に、植木さんから「ラインズマンをやって下さい」と言われ、何も分からずフラッグを持ったのが昨日の事のように思い出されます。当時はそれまで一本松小学校の先生方が指導されていたサッカークラブを、先生方に変わって中野さんと植木さんがお二人で引き受けた形で活動されていました。試合当日、私は息子の試合を見に行くだけのつもりで古河のグランドへ行ったのですが、ラインズマンをやらされ一本松サッカークラブは人手不足だなと言うのが印象でした。それがきっかけでコーチという立場でお手伝いさせて頂く事になりました。コーチを引き受ける時は自分自身はサッカーの経験がなかったので不安はありましたが『子供達の面倒を見るだけで結構ですよ』という中野さんの言葉で決心しお受けしました。当時はスパイクを持っていない子供もいる様な状態で、他校との練習試合等ではしばらくの間は連敗でした。中野さん植木さんそれと私とほぼ同時にコーチになった三枝さんと四人で何故勝てないのかについて熱い議論を交わしたのが今となっては懐かしい思い出です。近頃では道で卒業生に挨拶される度に成長した彼らに驚かされています。私は今あまり参加できないのですが、コーチ及び父兄スタッフも充実し、今後益々、一本松サッカークラブが発展する事と思います。

「いつのまにかコーチに」 Lコーチ 尾野 吉春

コーチになったのは7年位前に,長男が一本松SCに入部し長男の様子を見に行っているうちに,コーチの手伝いをしだし,いつのまにか,コーチをやっていました。柔道とラグビーしか経験のない自分にとっては,サッカーを教えるというより一緒に遊ぶという感じでLL以下を見ていましたが,長男が5年生になった時に,Lのコーチになり、今に至っています。今でもLを指導するするほどの技術はないですが,河合コーチのもとでこれからもお手伝いをしたいと思います。今でもOBが何人か練習の手伝いに来てくれていますがもっと来てくれるとコーチ達も楽になると思いますので10周年を期にどんどん来るようにして下さい。お願いします。最後に10周年に当たり今まで支えて下さった近隣チームのみなさん本当にありがとうございました。またこれからもよろしくお願い致します。

 

第1期の部

岡本光太郎,上田大輔,石原基晴,飯島義紀,鈴木敦,菅沼洋輔,神野貴寛,木村純,筒井友吾,福田光太郎,比良田幸利,

宮西裕樹,岡庭新二,増山英樹,前田幸宏,片平博夫,佐藤亮,長山秀一,田村富志也

第2期の部

畑中基志,植木智久,森田仁,川村国之,山田佳典,越樹,佐野文平,斉藤智也,斉藤真人,宇佐美賢一,井上貞雄,白石聴,

桜井浩平,伊藤謙吾,丸尾篤史

第3期の部

道三 啓吾,山口 優,飯島 和也,亀井 智也,一柳 孝史,西巻 剛, 南 嘉孝 ,薄井 恭介

僕が一本松SCに在籍していた頃は,チームとして発足したばかりで,試合で負けてばかりいた記憶がある。しかし,みんなサッカーが大好きでその気持ちだけは,どこのチームにも負けていなかったと思う。練習以外の日でもサッカーして遊んでばかりいて,卒業する頃にはチームとしてまとまってきていたと思う。あの時のメンバーが小学校一年生の時からサッカーに打ち込む環境が整っていたならば,きっとすばらしいチームになっていただろう。一本松SCでの最大の思い出は,六年生の時に防衛大学で行われたクリスマスカップで優勝したことだ。前年にこの大会で雪の中惜しくも敗れており,その雪辱を果たしたのはうれしかった。あの時の喜びは今でも忘れられない思い出となっている。一本松SCで過ごした数年間は,厳しくも,時にやさしいコーチの方々と,自我が強いけれど心からサッカーが好きな仲間に囲まれて幸せな時間が過ごせたと思う。あの頃の純粋なサッカーに対する気持ちは,卒業して何年もたった今でも心の中にしっかりと残っている。そして,あの頃の思い出は,これからも一生忘れることはないだろう…。 第3期生 山口 優

 

真っ黒に日焼けした顔に汗をキラキラ輝かせて,グランドを走り回っていた姿や,北風の中で頬を真っ赤に染めてボールを追いかけていた姿が,まだ昨日の事のように感じられるのに,もう10年近い月日がたってしまったのですね。サッカーが好きで好きでボールを持っては外に飛び出していたように思います。一本松SCは,そんな息子にはとても居心地の良いチームだったのでしょう。たくさんの友達と,やさしいコーチの方々に囲まれて,本当に楽しそうに練習に参加していました。今でも,時々コーチのアシスタントのような形で練習に入れていただいておりますが,息子にはいつまでも変わらないクラブの雰囲気がとても懐かしく感じられていると思います。私もメンバーのお母様方と遠征の付き添いや行事のお手伝いを通してとても楽しい時間を過ごさせて頂きました。試合になると自分でも信じられない位の大きな声を出していた事もありました。遠征のバスの中で「静かに~!」と叫んだ事もありました。どれも本当に楽しい思い出です。こんな思い出をこれからも作り続けていかれるように,この10周年をひとつのステップとしていつまでも暖かな,一本松サッカークラブであって欲しいと願っております。 第3期生父母 山口 みちよ

 

第4期の部

榎本 真也,田村 悠 ,河合 修作,鈴木 照ニ,宮原 圭司、増山 裕士,石黒 智純,西村 大地,芦川 智延,三枝 寛和

一本松SCでの思い出といったら,一番最初に浮かんだのは,練習が厳しくコーチもこわかったなということです。まずグランドに来て10周位走ってから(時には20周位だったような)その次は,ダッシュ十数本。体操をしてやっとボールに触る事ができました。すでにかなりバテバテで息もあがっていました。アップでこれだけ疲れてやっと面白いことやるんだろうなと思っていたら,基礎ばっかずっと。ミニゲームもほんの少しだけ。正直つまらなかった時もありました。遠征の移動も今のように車ではなくて,いつも桜木町まで歩いて行っていました。いま,時々手伝いに顔を出してみるとアップも楽しそうだし,ダッシュもほんの少し。ボールもすぐ触れて楽しそうです。でも,レベル的には全然,今の子のほうが上です。キックもしっかりしているし,トラップもできている。しかもリフティングもうまい。僕が同じ年だった時,リフティングなんてほとんどできませんでした。数える事がないくらいほんとうまくて驚きます。ゲームを見ても攻撃も守備も組織化されていて,しっかりしています。日本全体がサッカーに興味を持ち出したという理由もあると思いますが,僕らの頃は守備はとりあえず「あたれ!」,「前に蹴っとけ」,「外に出せ!」こんな感じでした。攻撃もただ単に縦一本。サイドからセンターリングなんて出来ませんでした。足の早いヤツをFWに置いて,縦に蹴ったボールを追う。ほんとに単純な攻撃でした。もし,僕らの時代のチームと今現在のチームと試合をしたら,大差で負けるでしょう。今後の一本松SCの発展を願っています。十周年おめでとうございます。 第4期生 河合修作

 

一本松でのサッカーは今の僕にとって大きな財産です。なぜならそれが次につながるものだったからです。小学校で学んだ事を中学,高校とフルに使った事によって僕がここまでサッカーを続けられたんだと思います。サッカーを通していろんな人に会え,仲良くもなりサッカーに対して本気で取り組む事によって得たものは沢山あったと思います。僕の上の代の人は今はほとんどサッカーをしていないけれどみんなサッカーがとても好きで毎日やっていました。当時はあまり好きくなかったけど,常に良い刺激でした。やりたいのに校庭がなく,やりたいのに環境が悪く,出来ない人たちが沢山いました。自分はたいしてうまくないけれど,いろんな意味で環境に恵まれ今までやってこれたのは,沢山の人達がいたからだと思っています。だからこれから先もサッカーを続けて行きたいと思います。もちろん,やるからには上を目指して!!コーチのみなさんこれからも頑張って下さい。 第7期生 三枝 寛和

 

第5期の部

山本 大介,勝呂 健二,石原 秀星,新藤 貴博,浜田 英樹,柳沢 健太,佐野 雄一,手島 大樹

僕は,一本松SCに入って良かったと思っています。それにいい環境で出来たと思う。当番のお母さん方のおかげで飲み物を飲めたりタオルを貸してくれたりで今思うとすげーいい事です。今,僕はまだサッカーを続けています。それは一本松SCのおかげだと思っています。今,練習に顔を出しても今までと変わらずサッカーを楽しんでいる元気なサッカー少年達には頑張ってほしと思います。時々今の僕の実力のまんま小学生でサッカーができたらスターだろうなって思います。 第5期生 石原 秀星

 

自分にとって一本松SCとは,小学校生活の中で一番の楽しい思い出。サッカーを通じて先輩,後輩と仲良くなれた事では,体験出来ない事を体験できとてもいい経験が出来たと思います。 第5期生 山本 大介

 

小学3年生から始め,卒業するまでの3年間 いい仲間・いいコーチそれに,お手伝いなど身の回りの事をやって下さった父母の方々のお陰でつらい時もあったけど楽しくサッカーが出来たと思います。心から感謝しています。 第5期生 手島 大樹

 

小学校3年の時「父さん柔道と空手とサッカーとどれがいい」とスポーツの選択をしたのが思い出とし残っています。私自身,子供の頃からサッカーとは無縁でした。野球がメジャーでした。当番で参加してはじめてサッカーの面白さが理解できるようになりました。以来,テレビでサカーの試合をよく見るようになりました。子供も一人っ子のせいか「厳しさがたりないな」と思っていました。しかし,日頃のコーチの指導・父母の協力もあって,試合の中で少しづつ積極性が養われているのが見える様になりました。現在高校2年生になっています。YSCCに入ってサッカーを続けています。一本松SC時代の楽しさが,まだ,続いているようです。コーチ関係する父母の方々の苦労・場所取り・車出し等大変だと思います。これから20年30年と長く一本松SCの活躍を願っています。第5期生父母 手島

 

長男,次男ともお世話になりました。サッカーのルールも知らないまま応援に行ってコーチが「お母さんのいう事は聞かなくてもいいよ」って。でも大声を出して応援するのは,ストレス解消になりました。ルールが分かると,サッカーは野球よりもおもしろく,世界のスーパースターやワールドカップの試合を見ると,2002年には身近なところから選手が出ないかしらと夢見ています。これからも益々,一本松SCが発展しますように!!第5期生父母 石原 雅子

 

1999年世紀末に10周年を迎えとてもうれしく思います。おめでとうございます。息子がサッカー部に入部,子供がどう仲間とそしてコーチと接し成長していくか心配もあって,試合の度に主人と見学に。それが始まりで,主人はコーチ,私は最後の一年間は,会長を…。毎日毎日が大変忙しく,我が家がサッカー一色になった事を思い出します。今高2になった息子もいずれ,親離れ,親も子離れしなければならない時が……。何かとてもあのころの忙しさが懐かしくなることがあります。「親子3人が同じ目的で何かをする」とても良かった。ありがとうございました。 第5期生父母 山本 和子

 

一本松SC10周年おめでとうございます。今から7年前(小4年)に一本松SCに入りキーパーとしてプレーさせて頂きました。当時は,一本松小の体育館建て直しの為,グランドが使用できず,毎週のように他校へ出かけ,又,本牧グランド抽選会に出向いた事を,今でも懐かしく思い出されます。今まで続いて凝れたのも,コーチ及び関係者のご協力のお陰と思っております。これからも,20周年,30周年と長く続いて行ける様頑張って下さい。 ファイト 一本松SC!! 第5期生父母 新藤 静枝

 

第6期の部

河合 真吾,榎本 周平,渋谷 正明,近藤 恵介,小川 清里,小林 隆,橋本 隼人

僕は,今から七年前にサッカーをはじめた。最初,ボールを蹴るのもままならなかったけど,ボールを蹴ることが出来るようになって,サッカーの難しさ屋,楽しさが分かるようになってきた。今でも僕はサッカーを続けている。それは,小学生の時にサッカーを楽しくすることが出来たからだ。一見,簡単なスポーツにも見えるけど,ボールを蹴れば蹴るほど奥の深さにはまっていった。今,一本松サッカークラブが十周年を迎えられて本当によかったと思う。これからも二十年,三十年と楽しく強いサッカークラブを続けていってほしいと思う。十周年おめでとうございます。 第6期生 河合 真吾

 

長男が2年ちょっと,二男が4年ちょっと,お世話に成りました。主人も8年ほどお世話になり,今もいろいろお手数をかけていると思いますが,今後ともよろしくお願い致します。さて,子供達が入部した頃は,一本松小学校のグランドが使えず,毎週毎週遠征で大変な時でした。監督コーチはもちろん,父母会,子供達,みんながサッカー中心の生活だったのではないでしょうか?。そのおかげと言いますか,遠征の移動とサッカーという激しいスポーツで子供達の体力はめざましいものでした。内の子供達は小児ぜんそくが治りました。よそのお子さんも風邪をひきにくくなったとか,目に見えて体力が付いたとお聞きしました。また,主人もサッカーを始める前までは,家でゴロゴロの生活でしたが,おかげさまで,健康的で生き生きと張りのある生活を続けています。本当に,当時も今も一本松サッカークラブには家族共々感謝しております。これからも,大変でしょうがスタッフの皆様,長く長く続けてください。十周年本当におめでとうございます。 第4・6期生OB父母 河合 良子

 

第7期の部

三枝 賢和,中野 宏一郎,真野 浩平,荒井 拓也,伊藤 達朗,堀越 健星,阿部 勝久,萩原 幸雄,畠山 梯卓,林 宏樹

僕は,立野小から転校してきて一本松SCに入ったけれど,最初はみんなになじめずにいたけれ,どだんだんそれが馴れてきて楽しくサッカーが出来たと思います。6年生の時,横浜市ベスト16になって本当にうれしかったです。前にいた立野SCとも試合が出来たし,一本松にいたのは短い期間だったけれど,自分の為にもなったし楽しい思い出が出来たと思います。 第7期生 伊藤 達朗

 

十周年おめでとうございます。僕は小学校3年生の時に入りました。最初の頃はつまらないと思っていたけどやっているうちにどんどんサッカーが面白くなっていきました。4年間の中でいろんな事があったけど一番心に残っているのは,僕が6年生の時に秋季国際チィビッ子大会の1部でベスト16に入った事です。予選リーグでは強豪の中,2位になって決勝トーナメントに行きました。この事が一番心に残っています。これから先もサッカーを続けて行きたいと思います。 第7期生 萩原 幸雄

 

お久しぶりです。僕は,相変わらず元気です。僕がサッカーを始めたのはたしか小2の頃で,萩原君[はぎちゃん]に「このサッカー部に入ろうよ」と言われたのがきっかけでした。最初はまず練習試合で見学したのを覚えています。その時まだサッカーの魅力を知りませんでした。始めの頃はスタミナもなくきつかったけどだんだん慣れてきました。僕は試合の時はいつも失敗してしまいなかなかうまくボールをつなげる事も出来なかったけれど,確か三枝コーチに「ガムシャラに行け」とアドバイスを受けて頑張った事も覚えています。五年生の時に引越しすると親に言われた時は,ショックでした。だけど一本松SCで頑張ったサッカーのおかげで引越ししても大宮でサッカー仲間を見つけて,中学校ではサッカー部に入り市の大会でも優勝する事が出来ました。ぼくにサッカーというスポーツを熱心に教えてくれたコーチや一本松SCのみんなに感謝です[少しくさいかもしれませんが…]。ぼくに一本松SCの思い出を書かせてくれてありがとうございました。春休みにでも横浜に行って会えたらいいなと思います。 第7期生 畠山 梯卓

 

一本松SCで6年間サッカーをして一番心に残った試合は太尾カップの決勝で戦った静岡選抜との試合です。雨がひどくグチャグチャになりながらも勝ち,優勝出来た事が一番うれしかったです。なにかの機会があれば,またあのメンバーでサッカーがしたいです。 第7期生 中野 宏一郎

 

一本松SC,十周年おめでとうございます。我が家の3人の息子が大変お世話になりました。特に栄区に引越しして来てから2年間ほとんど休まずに通い続けられたのもコーチの方々,チームメイト,父母の皆さんのおかげだと感謝しています。子供達の心にも一本松SCの思いでは大きく心に残っています。神奈川新聞で一本松の活躍を見ては,一家で喜んでいます。我が息子達もそれぞれ場所は違ってもサッカー大好きで続けています。一本松SCのこれからの発展を楽しみにしています。頑張って下さい。 第7、8期生父母 萩原 美子・秀雄

 

十周年おめでとうございます。一年生から6年間お世話になりました。早いもので,もう,10年という月日がたち…クラブがなくなってしまうかも!という一言で子供達のためと,お父さんが立ちあげてくれたサッカー。校庭は工事のため使えず,外のグランドを借りるため並んで抽選したり,車が足りず子供達と桜木町を往復並んで歩いた事。徐々に力をつけ優勝した時の感激。これも,父母の皆様のご協力なしではここまで来れなかったと思います。これからもコーチの皆様には,本当に大変かと思いますが,これからも頑張って頂きたいと思います。今まで本当にご苦労様でした。 第7期生父母 中野 君枝

 

第8期の部

戸部 寿克,萩原 義明,尾野 勝 ,鈴木 和也,小川 直宣, 古木 数馬,豊原 佳久,川村 賢吾,油本 亘太郎,楊 永貴

僕は小学校1年から6年までサッカーを続けられてよかったです。楽しかった試合や,苦しかったり負けて悔しかった試合を思い出します。5年生の時,決勝トーナメント第一戦に勝った時はとてもうれしかったです。6年生の春の大会で,丸山台に後半に逆転されて本当に悔しかったです。6年間みんな仲良くサッカーができてよかったです。 第8期生 戸部 寿克

 

僕が一本松で一番思い出に残っているのは,5年生の時に秋季国際チィビッ子大会の1 部でベスト16になった事です。予選リーグでは最初は「だめかな」と少し思ってしまったのですが最後に4連勝して決勝トーナメントに行けました。今僕は栄FCでプレイしています。最後まであきらめないで全国大会出場を目指して行きたいと思います。 第8期生 萩原 義明

 

僕の一番の思い出は,3年か4年の時にリーグ戦で相手とボールを蹴り合って負けてしまい,倒れた所に三枝コーチがかけつけてくれてマッサージをしてくれたけれど足は全然治らないで,結局,試合には出れませんでした。それから1ヶ月間は早くサッカーがしたくて毎日のように病院に行って治そうと努力したことが僕の一番の思い出です。 第8期生 鈴木 和也

 

1年の時から始めて,六年間はとても楽しかった。試合に勝った嬉しさや,負けた時の悔しさは,中ニになったいまでも忘れてはいない。最初の頃は,なかなか上達しなくてやめたくなった事もあったけどここまでやってこれたのは,やっぱりサッカーが好きだったからだと思う。これからもサッカーがんばるぞ!! 第8期生 尾野 勝

 

10周年おめでとうございます。思い起こせば「男の子だから何かスポーツでも」と思っていたら一年生の秋頃,サッカー部の部員募集があり気軽に入部させました。ところが2年生になるとグランドが使えなくなり,本牧や戸部公園と,とってもハードで親子共々ビックリしたのを覚えています。そしてこの頃から,主人も手伝いからコーチへと参加させてもらい,土日はサッカー一色だったように感じられます。途中挫折もありましたが,中学生になってもサッカーを続けていられるのは小学校六年間の土台があったからだと思っています。コーチはじめ,その時々にお世話になった父母のみなさまに感謝しています 第8期生父母 尾野 真理

 

第9期の部

下田 健大,箕輪 芳瑛,角津 正美,町田 祥多,柳沢 桂祐,古木 網一,毛 允凪

六年の頃記憶に残ったのは,中区大会で優勝した位でとにかく,よわかった(勝てなかった)しか覚えていないけど,フリュ-ゲルスとの戦いですごくいい試合をやった事が特に心に残っている。六年生ニ部準優勝 おめでとう!! 第9期生 下田 健大

 

僕は小学校2年の時に一本松SCに入りました。その時は,全然うまくなくてサッカーをするのがつまらなくなる事がありました。でも,年が上がるにつれ,だんだん上手に出来るようになりサッカーをするのが楽しくなりました。上手に出来るようになったのは,コーチ達のおかげです。どうもありがとうございました。 第9期生 角津 正美

 

一本松SCで一番いい思い出は,一本松のサッカー部に入っていろんな友達が出来た事です。二番目のいい思い出は,中区大会で優勝した事です。僕が一本松のサッカー部に入って一番最初で一番最後の優勝した大会です。三番目のいい思い出は,合宿です。合宿でゲームとかをやって,晩飯も自分で作って食べました。 第9期生 毛 允凧

 

いままでサッカーをやっていて,コーチや皆といっしょに練習や試合をやって,1年間だけだったけどとても楽しくサッカーが出来て,コーチや皆には感謝しています。どうもありがとうございました。 第9期生 古木 網一

 

僕は,一本松小学校を卒業し,老松中学校に入学しました。そして僕は老松中のバトミントン部に入部しました。夏の大会では団体戦にも出ました。現在,部活動は毎日充実した日々を送っています。これも一本松SCに入っていたおかげです。僕は3年の春に入ってきました。しかし,あまりやる気がでず,あまり練習に来ませんでした。そして気が付いたら周りの人にぐーんと差を付けられていました。そんな感じで過ごしていたらあっという間に6年になっていました。6年の春の終わり頃突然父がサッカーに燃えました。僕は嫌でもサッカーに行かされるようになりました。しかしだんだん自分でも成れてきて3ヶ月に1回休むくらいの割合になりました。そして冬,僕の頑張ったで賞はついに5個以上貯まりました。これで最後の年は「大望の銀メダルだ」と思いながらメダルの貰える日を待っていました。ついにお別れ会です。僕はとてもうきうきしていました。しかし,今年は銀は,10枚以上15枚未満で,僕は見事に4個の銅メダルを獲得しました。僕はサッカーは下手だったけど一本松SCに入って体力が付き,今後の部活などにそれを活かして頑張りたいと思います。 第9期生 町田 祥多

 

サッカー部に入ったのは5年前。兄を追うように入ってきましたが,運動神経は悪く人一倍下手でした。(笑う)5年間精一杯練習はしたのですが,最後まで補欠だった気がします。思い返すと二年の時は差はあまりなかったのに,三年以降はどんどん差が開いた気がします。おまけに四年の時の大会,練習試合ではとことん負け続けた記憶が残っています。あまりにも,負けが多いので自分は疫病神じゃないかと思ったこともありました。他に思いつくといえば,同い年が良く変わったことでしょう。同期生は,土井君(名字は旧姓です),下田君,角津君,新藤君と僕でしたが,町田君,大塚君,箕輪君,古木君が入り,土井君,新藤君,大塚君が抜けていきました。これを読み返すと悪いことばかりですが,上記の事だけしかなかったら,必ず一本松SCから抜けていたでしょう。では最後に,一本松SC10周年おめでとうございます。 第9期生 柳沢 圭祐

 

一本松SC10周年おめでとうございます。コーチ及び歴代会長,父母の皆様,十年間という長い間ご苦労様でございます。思えば,箕輪芳瑛が戸部小学校3年の時,三枝コーチのお宅に入部のお願いで伺いましてから4年間少々体調が悪い時でも週末にはサッカーに行ってくると言って出かけて行きました。一言で十周年と言ってしまいますが,コーチ及び歴代会長,父母の皆様の子供達とサッカーに対する気持ちが素晴らしいと思いながら私の4年間でございました。これからも大変だとは思いますがコーチ及び父母の皆様のご健康に留意されまして一年一年,二十周年に向かって頑張って下さい。 第9期生父母 箕輪 芳和

  

第10期の部

浅利 裕祐,黒沼 健太郎,楊 永泉,高倉 翔,山田 辰哉,宮崎 悟,佐野 正悟,北村 公俊

僕がサッカーを始めた理由はサッカーがどうしてもやりたかったからだ。入ってすぐつまんないと言う気持ちが出ると思ったけれど頑張って六年生までやってきた。六年までに色々な事があった。まず始めての試合。ポジションは左のFWだった。点を入れようと頑張りまくったけど僕はコロコロ転がってばっかだった。四年の秋季リーグは、1位になり決勝トーナメントでは一回戦勝ったけど、二回戦は負けてしまった。それから六年の結果が出たと思う。四年から五年、五年から六年になり春の大会が始まった。春の結果はあまり良くなくて、四位だった。それから、夏になり秋の大会に向け厳しい練習が始まった。みんな汗をいっぱいかき、一日一日真剣に練習を頑張った。それから秋になり大会が始まった。僕は優勝を狙い一日も負けずに勝進み、とうとう決勝戦までたどり着いた。結果は、0-1で負けてしまったけど、準優勝という素晴らしい結果をとうとう果たせた。準優勝のタテは、すごく思い出が詰まっているものだと思う。僕はキャプテンとして一本松SCがこんなに強いチームだとは思わなかった。これからも皆とサッカーをしていきたい。 第10期生 浅利 裕祐

僕は2年生から一本松SCに入りました。SLの時は、インステップキックやインサイドキック等の基本的な事を知りませんでした。3年生になると試合が沢山増えてきましたが、負けてばかりで悔しかったので暑い夏も頑張って練習しました。そしてチーム一丸となって戦いました。練習の成果が出て今年の秋のリーグ戦では準優勝しました。僕はサッカーが大好きです。これからも続けたいと思います。 第10期生 山田 辰哉

僕は一本松SCに入部して最初はリフティングが、1,2回しか出来ませんでした。でも今は、100回以上出来るようになったし、色々なプレーもうまくなりました。一本松SCでの思い出はリーグ戦で準優勝になれた事が一番の思い出です。第10期生 楊 永泉

僕の一本松SCに入ってからの一番の思い出は、決勝トーナネントの事です。優勝出来なかったからすごく悔しかったけど、精一杯できたし、焼肉も行けたのですごく楽しかったです。次のLの皆には優勝してもらいたいです。一本松SC入って良かったのでまだやりたいと思いました。第10期生 北村 公俊

僕は四年生の時一本松にうつってきたけど、やっぱ、一番良かったのは連取時間と練習試合の多さでした。でも僕的にはサッカーがたっぷりできて満足でした。他はOBが来てくれた事です。OBは皆うまかったし、優しかった。試合結果はともかく楽しく出来た。けど六年になってから自分のパスと周りの人とが会わなくて頭に来たりし、悔しかった。でもそれはそれで良い経験になった…ようにも思えた。僕はこのチームで三年間しかやっていないけど楽しかった。中学に行ってもこの経験を活かしてサッカーを頑張りたいです。もちろんプロを目指して!!! 第10期生黒沼 健太郎

第10期生 高倉 翔

 

SC結成10周年を祝して

横浜市立一本松小学校 校 長 平林 静子 様

10周年記念おめでとうございます。地域の子供達のサッカーが出来る環境を整え、指導者皆様の熱意で築き上げて来られた喜びがいかばかりかと存じます。土曜日の午後や日曜日に指導者として集まって来られる方々も仕事を持ち、お忙しい中で指導されている姿を見て、子供達にとっては幸せな事だと考えます。練習の時間も少ない中で、技術的な指導をされ優秀な成績を納められている事に敬意を表しております。成長途上の子供達にとって、運動をすることは大切な事です。体を動かし、集団でゲームをする事から、鍛えられるものも大きいと考えます。サッカーそのものだけでなく、礼を尽くす事や精一杯努力する大切さなど精神的なものにまで指導されている皆様のお力に感謝致します。学校教育とは異なり、地域での指導力に育てられる部分が重要となり、これからはもっとその存在価値が高まると思います。チームの練習に参加する子供達には体力が付き、精神的にも強く育ってきている事を考えますと、今後とも学校の指導とも連携させて頂ければ幸いです。また、指導者の皆様、参加する保護者の皆様の協力体制の大切さも感じる次第です。本校の子供達がお世話になっておりますことに感謝いたし、皆様のように地域のリーダに育つ事を期待しております。今後ともサッカークラブが地域のスポーツクラブとして発展されます事を願って、お祝いの挨拶とさせて頂きます。

 

「お祝いの言葉」 一本松学校開放運営委員 東一本松ベアーズ 岡崎 光晴 様

一本松サッカークラブ、創立10周年を迎えられ心からお喜び申し上げます。

サッカーは国民的スポーツとして発展しています。プレーするだけでなく、見るスポーツ、参加するスポーツ(サポーター)としても多くの人々に親しまれて来ました。また、筋書きのないドラマとも言われる通り、私たちにさまざまな感動を与えてくれます。神奈川県には、数多くのプロサッカーチームが在籍しており多くのサッカー少年に夢を与えてくれています。皆さんもあこがれの選手のプレーに勇気づけられたり、落胆した事でしょう。皆さんが憧れている選手も、きっと、小学生の頃からサッカーに熱中して真剣に練習し、チームメイトと励まし合って厳しく辛い練習を乗り越えていたのだと思います。どうか皆さんもサッカーを通じて友情を深め、集団生活のルールやチームワークの大切さを学び、技術の向上と共にサッカーを思う存分楽しみ素晴らしい思い出を作って下さるようお願いいたします。終わりになりましたが、10年間に及ぶ輝かしい伝統を築いて来られた関係者の皆様に敬意を表しますと共に、選手の皆さんのこれからの御健闘を心からお祈りして私のお祝いの言葉と致します。

 

 

近隣チームからの言葉

「一本松SC 創立10周年記念に向けて」 北方SC : 中川 和幸 様

一本松SCの皆さん,創立10周年おめでとうございます。一本松の皆さんとの交流は、ホームグランドとしている一本松小学校の改修工事の為にグランドが使用できず、我が北方SCに練習試合を申し込まれたことがきっかけでした。毎週のように西区から足繁く通ってくる情熱に、頭の下がる思いでした。すぐにうちのチームのメンバー(特にコーチ同士)と打ち解け合い、互いに競い合い支え合う間柄となったことをうれしく思っております。当初は負ける相手ではない感じだったのですが、最近では「一本松とよい試合が出来れば……」という感じです。北方SCは数年前にL2部で4位になり、市の大会プログラムに載っているのはこの界隈では「北方」だけという自慢も、今年度準優勝された一本松SCに1歩譲る形になってしまいました。コーチの方々や保護者の方々の熱いサポートに支えられた子供達が順調に育っている事を羨ましく思っています。 これからも、よきライバルとして頑張っていきましょう。

 

「サッカーの楽しさを教えられない指導者は去れ」 磯子フレンズサッカークラブ 牧山 祐仁 様

一本松SCのサッカー少年の皆さん,コーチ始めOBや関係者各位の皆様,創立10周年おめでとうございます。この度10周年を迎えられましたことは関係者皆様の子供達及びサッカーに対する熱い思いの結晶であり結果の顕れであると深く心より敬意を表したいと思います。我々磯子フフレンズSCは創立18年目の少年サッカークラブですが,御クラブ創立,間もないころより友好クラブして練習試合等のお付き合いをお願いして来ました。とりわけ,昨今は我々が毎年3月に開催する6年生のお別れ会カップ戦に必ず御クラブに参加をお願いしており,又,御クラブが催される一本松杯は我チームの子供達も楽しみにしており,昨年も楽しく参加させて頂きました。只,私がコーチを始めた7-8年前は我々の方が勝率が良かったのではないかと勝手に記憶しているのですが,近年は我々が完敗することが多く,もう少し強いチームにしない事には,お誘いを頂けなくなるのではないかと密かに危惧しており,次回には必ず勝とうと心に誓っている次第です。又,いつの試合も御クラブの子供達は優れた個人技とマナーの良さを持ち合わせており,指導者の少年サッカーに対する基本的な考え方に敬服しております。ところで,今回御クラブ創立10周年の記念誌を発行されるということで本来ならお祝いの言葉と同時に,どのような経緯にて御クラブと現在の様に親しくお付き合いさせて頂くようになったか思い出を語るべきところですが,我々の古参関係者が多く退会しているため,私自身残念ながらそれを知りません。その意味においても創立当時の関係者が数多く現在もご活躍されている御クラブの有り様は我々が学ぶ姿であり改めて敬意を表します。スーパースターであるジーコは「少年にサッカーの楽しさを教えられない指導者は去れ」と言ったそうです。厳しいようですが,私も全く同感であり,御クラブの試合を見ると指導者はまさに我々の目標としているものと共通点が多いという気がします。最後に今後とも長いお付き合いが出来ます事をお願いし,お互い切磋琢磨する中で少しでも内容の濃い優れたゲームが出来,少年達が逞しく向上出来ますよう努力して参りましょう。

 

「21世紀のJリーガー排出を」 FC藤棚 岩井様

一本松サッカークラブの10周年おめでとうございます。私たちFC藤棚は同じ西区のサッカークラブということもあり常に貴クラブを目標に活動してきました。まだ試合で貴クラブを苦しめることは少ないですが,そうした中でも忘れられない思い出があります。それは,昨年の中区大会LLの部門でした。貴クラブにPK戦で勝ことが出来,決勝戦に進めたことじたいも嬉しかったのですが,この大会を経験して私たちのクラブは子供達はもちろん,父兄やコーチも「クラブとして一つになる」ことが出来たと思います。一口に10年と言ってもクラブを続けて来るには,色々なご苦労があったと思いますが,貴クラブにとっては10周年も一つの通加点でしかないはずです。21世紀のJリーガー排出に向け,さらに先を目指される一本松サッカークラブに期待しています。又,我クラブの良き兄として今後もご指導の程よろしくお願いします。

 

「指導者も一層の精進を」 YSCC代表 吉野 次郎様

一本松サッカークラブの関係者の皆様10周年本当におめでとうございます。新たな千年紀の始まりに、このような慶事は次なる千年紀まで未来永劫、このクラブが発展し続ける何かを象徴しているかのようで非常に喜ばしい事と存じます。区を越えて永らく我々YSCCともお付合い頂き、また、グランド内外でも多くのご指導頂きまして感謝の意に絶えません。スポーツを通じて健全な子供達を育成し、成長して行く子供達に多くを学び、人として子供から大人までが集えるコミニティーを継続して運営して行く事ほど尊いことはないと思います。情報化・コンピューター化が進む中で、笑いあり、涙あり、戦いありと、人の輪の中で豊かな心を長期的なビジョンに立って育むことこそが、現在、求められていることと認識しています。このような観点に立てば、青少年の心の奥底にうごめく悩み等々を共に分かち合う事が出来ると思います。 2000年の始まりは、サッカー界にとっても、2大会連続オリンピック出場、日韓共催ワールドカップと新たな歴史の始まりです。現在の日本若年層の世界的な活躍は、こうしたクラブ指導者の成果の賜物であり、さらに、成長させる上では選手達のみならず指導者もより一層の精進が必要となります。今後も、ともに多くの卒業生を社会に輩出し、社会貢献できる、又、スポーツ貢献できる人材の育成に多くの力を注いでゆきましょう。 本当におめでとうございます。

 

一本松サッカークラブ10周年記念に寄せて 帷子サッカークラブ監督:高岡 瑞郎

一本松SCの皆様方,創部10周年おめでとうございます。一口に10年と言いましても,短いような長いような,それこそひと歴史ですね。創立当初の子供達の中には,少年から成人をし立派な青年になった人達もいるでしょう。あたかも,少年サッカーを始めた子供達がオリンピック代表年代になったのと同じです。それだけクラブそのものが成長したのです。人生に苦楽があるように,また色々な経験をして大きくなるように,さらには色々な人々に接し,支え支えられ,自分の世界が広がってきたように,一本松サッカークラブもそのように成長してきたことと思います。帷子サッカークラブも一本松さんに縁が有ったクラブの一つです。今後ともお付き合いの程お願いしたいと思います。一本松サッカークラブさんとの思い出に残る事は,貴クラブがまだ草創期のころだったと思います。真冬に帷子小学校で練習試合がありました。いつもの紫のユニ・フォームではなく,真っ白な長袖のユニ・フォームでした。あまりに真新しいので子供達に聞いたところ,新調したばかりで「今日が初めてなんだ」という言葉が返ってきました。子供達は嬉しそうにまた凛々しくハッスル・プレーをしていました。ところが,季節は冬。朝は凍っていたグランドが時間が経つに連れて少しずつ融けだし,やがては,校庭そのものがどろどろになり田んぼの様な状況になりました。新品の白いユニ・フォームは当然,泥だらけで茶色くなってきました。しかし,子供達は,その汚れには気を止めずに,ガンガンとボールに向かって行きました。普通だったら,汚れを気にして動きが鈍くなる所ですが…。(その後のお母さん方のご苦労が目に見えるようでした)。出来たばかりのグラブがこれだけのプレーをするのだから,中野さんを中心としたコーチ・スタッフの指導が大変に行き届いているんだなと感心するとともに,これは強くなり手強いクラブになるとその時思いました。あれからもう10年。まだまだ,発展途上のことと思います。「これから益々成長するぞ!」という思いだと思います。現状で満足はしていないと思います。人間でいえば,ようやく小学校高学年になったところですから。一本松サッカークラブがこれから益々精進し,発展成長していくことを願っております。帷子サッカークラブ共々切磋琢磨して参りましょう。